バングラデシュのサヴァーという町で4月24日に起きた縫製工場の崩壊という大惨事で、最終的に1,100人以上の労働者が命を落とし(BBC News Asia, 2013年5月17 日)、数多くの人々が手足を切断しなければならないという重傷を負った。2005年にも同じ町で建物が崩壊し、64人の縫製工場労働者が亡くなっている(“Dhaka factory collapse: Can clothes industry change?” by Sabir Mustafa, BBC News Asia, 25 April 2013). その他、同国内のアパレル業界では、近年何百人もの労働者が火災で死亡している。なぜバングラデシュの衣料産業はこの様に多くの災害に見舞われたのだろうか?
報告によると、今回崩壊した8階建てのビルは、もともと5階建てのショッピングセンターとして建設が認可されたそうだが、ビルの所有者は違法にもそれを工場として使用していただけでなく、管轄地方自治体のエンジニアーの許可の下、新たに3階を追加し、そのビル内では5つの工場が合計3,000 人以上の労働者を雇って操業していたそうだ(“Dhaka death trap fears follow fatal collapse”, Aljazeera, 06 May 2013)。昨年11月、117人の労働者が死亡した火災では、工場の出入り口に鍵が掛かっていた為、人々が燃え盛るビルから必死で逃げようとジャンプし転落死したそうだ。報告によると、そのビルはその火災の数か月前に、火災安全認定書を取り消されていたそうだが(“Bangladesh factory disaster: How culpable are Western companies?” by Brian Montopoli, CBS News, April 26, 2013)、そのまま操業を続けていたとのこと。
これまでILOは、雇用や労働の分野で、ILO条約という形で国際労働基準を採択し、また加盟国でそれらが適用されるよう、促進運動の最前線に立ってきた。加盟国は条約を批准するよう促され、いずれかの条約を批准する場合、その条約に沿って国内の関連法を制定または改訂し、国内でその条約の適用を義務付けられる。
バングラデシュの最近の惨事に関連する条約には、「工業及び商業における労働監督に関する81号条約」があるが、バングラデシュ政府は1972年にそれを批准している(NORMLEX、ILOデータベース)。その条約が目指しているのは、労働者が仕事に従事している間、労働時間、賃金、安全、衛生、福祉といった、つまり労働条件や労働者保護に関する法の規定の施行の確保である。つまり、もしこの条約の規定が適切な労働監査によって適用されていたならば、バングラデシュの工場で近年起きた恐ろしい事故の殆どは防げたかもしれないし、多くの労働者が命を落とすこともなかっただろう。
だが、条約を批准することと、それを適用することとは全く別問題である。これは急速なグローバル化を背景に、莫大な外国資本が流れ込み急激に拡大した産業を抱える発展途上国でよく見かけられる。バングラデシュの衣料産業は、この20-30年ほどで飛躍的に発展し、今では月給約40ドルを稼ぐ約400万人もの、主に女性労働者、を雇っている。この業界は国の産業部門の柱として、2012-2013 年度の総生産額は150 億ドル以上に上り、国家の輸出総額の実に80%を占めている(“Analysis” by Mark Doyle, BBC International Development Correspondent, BBC News Asia, 30 April 2013).
バングラデシュの衣服産業の中心であるダッカに近い地区では、今日4,000以上の縫製工場が操業しているが、その地区では、わずか18人の労働監査官が職場の監査を行っていると報じられている(Montopoli、前掲)。しかし問題は、工場の数に比べて著しく少ない数の、更に適切な監査を実施するには技術的に不十分な能力の監査官だけではないだろう。私が思うには、それらの多くの工場は、国にとって必要な雇用を創出し大切な外貨を稼いでくれるという功績と引き換えに、監査官の工場への立ち入りを禁止するという特別保護を享受してきたのだろう。
発展途上国の工業団地や輸出加工区(Export Processing Zone(EPZs))内で、資本の大半を外国人投資家の出資によって建設、操業される工場は、治外法権の権利と特権を享受することが知られている。投資家はどの国に投資するにも、その戦略的な位置と安い労働力を含む生産に有利なコストに引き付けられる。だが、その国での生産コストが上昇すれば、彼らはすぐ他国への移転を検討する。その為、投資家達を満足させておくため、受け入れ国内で影響力のある人物は、生産コストを低く保つためにあらゆることをする。例えば、労働者の権利を著しく制限したり、彼らの安全と健康を脅かす結果になるような、EPZ内への監査官の立ち入りを禁止したりすることだ。
受け入れ国の良心的な政府当局者が、労働者保護の為に法規定を適用しようとすれば、投資家たちは、それなら工場を他国に移そうと脅すかもしれない。また良心的な使用者が、同じEPZ内の他の工場の労働者がうらやましがるような労働条件を自分の従業員に提供すれば、他の投資家や使用者はそのような使用者を、EPZで悪影響をもたらす迷惑者とみなすだろう。私は1998年1月から3年間、ILO事務所長としてスリランカに勤務したが、その様な話を何度も聞いた。その国にとっても、衣服産業は最も重要な外貨獲得の産業であった。政府が1956年にILO81号条約を批准していたにもかかわらず、労働監査官達は、そのような工場が主に位置していたEPZから文字通り締め出されていて、監査官としての仕事を妨害されていたのだ。
スリランカのEPZは、その当時、財務省の一部の投資委員会(Board of Investment(BOI))によって管理されていた。その為ILOは、EPZ内での労働監査を如何に成し得るかについて、労働省とBOIの政府当局者達と一連の会合を持った。何度も交渉をした結果、BOIはついにコロンボ郊外のEPZ内に監査官一人を配置することに同意し、後に別のEPZ内でもそのような措置がとられた。どの国の法律も、特定の部門が正当な理由で免除されない限り、その領域内のすべての部門や場所に適用すべきである。監査官は自分の仕事を全うするため、制限なくすべての職場内に入ることが出来なければならない。私の任期中、スリランカの縫製工場ではバングラデシュで報告されたような悲しい事故は発生しなかったが、労働監査システムはまだまだ改善が必要だった。
ILOは三者構成といって、メンバー諸国の政府、そして使用者と労働者側組織の代表が対等な立場で集い話し合い、国際労働基準を制定、推進している。しかし、スリランカのEPZに於ける労働問題に関し、私が直面したもう一つの問題は、その国の衣服産業を代表し、その業界に絶大な影響力を持つ「スリランカアパレル輸出組合(SLAEA)」が、ILOの使用者メンバーである「セイロン使用者連盟」に加盟していなかったことだ。これはその当時、ILOが労働問題について、SLAEAに加盟している使用者達と接触するのも殆ど不可能にした。
どの組織であろうと、誰も加盟を強制されるべきではない。と同時に、どの使用者も、政府が批准した労働者の基本的人権や安全衛生を保障した国際労働基準に沿って制定された国内法を無視したり回避する事は出来ないはずだ。これは工場がEPZ内にあり、ILOに属する使用者側団体に加盟していない雇用主にもそう言えるべきである。
いかなる政府でも、その役割は、労働者を含む市民を保護することである。政府がそれを怠った時、その国の労働者が職場で十分な安全衛生の保障なして搾取されている状況の下、恩恵を受けている海外の消費者は特に、何らかの行動を取る道義的義務があると思う。グローバル的に事業を展開し、そのような国から商品を調達し、巨額の利益を得ている小売業者も、また安く容易に入手できる衣類の恩恵を受けている豊かな国の消費者も、劣悪な環境で必死に働く労働者に対して無関心ではいられないはずだ。
ダッカの大惨事後、ILOはバングラデシュ衣服産業をより安全で持続可能にするための行動計画を、その国の三者構成メンバーと協議し作成する目的で、上級職員で構成するチームを派遣した(ILO Press Release、2013年4月29日)。どの様な行動計画であれ、一夜で状況を変えることは不可能だ。それには関係者すべての、職場の安全衛生に関する姿勢・態度の変化とトレーニングを通した長いプロセスが必要である。政府は、法規定が国内の全領域に適用されるという立場を明確にしなければならないし、監査官が適切な監査が出来るよう、十分な訓練を施さなければならない。使用者は労働者を単に最大の利益を得る為の手段として扱うべきではない。従業員には健康で安全な職場を提供し、その為の訓練も施す義務がある。労働者も、職場の安全維持に重要な役割を果たせるよう、その様な訓練には積極的に参加することを期待されている。どの国であれ、すべての職場をくまなく監査出来るような十分な数の監査官を雇うことは不可能である。だからこそ職場の安全衛生は、国際労働基準が保障する基本的人権が尊重される健全な労使関係を通してしか確保できない
ILOの行動計画は、縫製業界をより安全にそして持続可能にする為の長期的戦略には欠かせないだろう。しかしそれが即経済的インパクトをもたらさない限り、これまで労働者の基本的人権を無視してきた強力な政治家や使用者を直ぐ行動に移す十分な圧力にはならないかもしれない。報告によると、EUはバングラデシュの縫製業界の労働条件の改善を促す為、何らかの措置を考慮しているそうだ。例えば、現在バングラデシュからの衣料品は、EU加盟国の市場に免税でしかも無制限にアクセスできるという貿易優先システムの恩恵を享受しているが、それも再考慮されるかもしれないとのこと(BBC News, 07 May 2013, op. cit.)。そのような措置は、使用者とその国から製品を調達している小売業者には強力なメッセージになるだろうが、私はそれがEUに縫製品を輸出するすべての国々に適用されることを望む。そうでなければ、使用者や投資家達が労働者の人権や安全衛生が尊重されていない他国に生産の拠点を移すことを奨励するだけで、同じような悲劇が他で繰り返される可能性が十分ある。
これまで、クリーン·クローズ·キャンペーン(Clean Clothes Campaign(CCC))、倫理貿易イニシアチブ(Ethical Trade Initiative(ETI))、公正労働協会(Fair Labor Association(FLA))、公正衣服財団(Fair Wear Foundation(FWF))、ソーシャル·アカウンタビリティ·インターナショナル(Social Accountability International(SAI)), 及び労働者の権利コンソーシアム(Worker Rights Consortium(WRC))といったNGOが、企業の責任ある事業展開を追求し活動してきたが、これらのNGOもバングラデシュや他の国々の衣服産業を変革するのに、有効な手段として活用されるべきだ。彼らは、国際的に展開する小売業者と労働組合と協力体制で活動し、発展途上国から調達されている衣服が確かに労働者の権利と安全衛生が尊重されている工場で製造されていることを保証している。
今日の熱狂したメディア社会に於いて、小売業者が労働者の基本的人権も守らないような使用者と組んでビジネスを展開していると知られた場合、消費者も彼らに対して強力で否定的なメッセージを発信することができる。歴史的に確立した有名ブランドも、もし冷酷でその上不法にビジネスを展開していると報じられれば、深刻なイメージダウンにつながる。扇情的な報道を避けるべきだが、すべての利害関係者が、企業の社会的責任を監視する適切なメカニズムを介して連携提携すれば、衣服産業はより安全で持続可能な産業になれるはずだ。