2020年の殆どの間、新型コロナには関係ない医学的問題をいろいろ経験した私は、気分的に沈みがちだった。政治的、社会的問題がなかなか進展しない現実も、私を無気力にした。しかしながら数日前に読んだ新聞記事が、私の日本の司法制度に対するこれまでの気持ちを、少々ポジティブにさせてくれた。これまで出された判決傾向は、どうも男性又はビジネス界に支配された日本社会を反映する傾向がある、と思っていたからだ。
見出しには、「娘に性的暴行した男に、東京高裁は静岡地裁の無罪判決を覆し有罪判決を言い渡す」とあった(東京新聞、朝刊、2020年12月22日)。 2019年初頭、この事件に関する記事を読んだ時、何と恐ろしい判決だと腹を立てたのを覚えていた。裁判長は男性であったが、被告人になぜそのように寛大だったのか理解できなかった。その頃日本では、もう一件大々的に報道された強姦事件があり、その事件で告発された男性が、政界の大物と親しい間柄だった為、逮捕を免れたとのうわさが流れた。これらの事件は、女性に対する不当な扱いに怒りの抗議を表明し大勢の若い女性が参加した「フラワーデモ」に発展した。
どうやらこちらの事件の被害者だった娘は、わずかな発達障害を抱えており、父親は彼女が12歳だった2017年から強姦し始めたそうだ。この件では目撃者や物的証拠が存在せず、裁判では被害者証言の信頼性と信憑性が論争の焦点になったのだが、被害者によると、彼女は約2年間、ほぼ週3回の頻度で父親にレイプされたとのこと(しんぶん赤旗、デジタル版、2020年12月22日)。 裁判長が被告人を無罪にした理由は、特に父親による性的虐待の頻度に関し、娘の証言が信頼できるものではないと思えたからだそうだ。
しかしながら東京高裁の女性裁判長は、被害者の証言が時々たどたどしいものであったと認めざるを得なかったが、信頼できる内容だと判断した。例えば娘の証言は、レイプ事件の被害者だけが説明し得る具体的かつ現実的な内容だと確信した。 彼女はまた被害者の障害を考慮し、地裁での父親の性暴力の頻度に関する尋問で、被害者が質問を正しく理解していなかった可能性もあると感じた。 もしそうだとすれば、被害者の一貫性に欠ける証言内容は十分に説明できる、と彼女は強く思ったのだ。
更に高裁裁判長は、地裁が娘の証言のその部分のみに基づき、証言が信頼できないと却下したことは、不合理で到底正当化できないと確信した。 彼女は若い被害者の思いに寄り添い、「最も凶悪」と見なした犯罪行為、そして自分の娘を肉体的および精神的に苦しめた父親に対し、7年の刑を言い渡した。
この件で正義が勝利したことに関し、私は安堵のため息をついた。しかし、第二次世界大戦以降70年以上も経った今日、我が日本ではかなりの社会的進歩を遂げたと思われがちだが、実際のところまだこのレベルにあることに気づくと、どうしても落胆せざるを得ない。