今年3月には、東北地方の広範域で多大な破壊をもたらした巨大地震と津波発生ら6周年を迎え、犠牲者への追悼式が行われた。これらの大自然災害により、福島第一原発では停電が発生し、1986年にチェルノブイリで発生したような深刻なレベル7の原発事故が起こった。それにより、数十万人の人々の健康が脅かされた。 安倍首相は、2013年9月、ブエノスアイレスで開催されたIOC会議で、福島の放射能汚染水は「制御されている」と主張し、2020年のオリンピック開催地として東京が選ばれた。しかしながら、未だに汚染水問題は解決されないままで、被災地の人々の健康は依然として危険にさらされている。
地震と津波の被災者は、多かれ少なかれ新しい生活をスタートさせた。しかし深刻な被ばくを避けるため、急いで自宅や住み慣れた地域から逃げ出すことを余儀なくされた人々にとって、不安定な生活をこの先も続けなければならないのは、依然として非常に深刻な問題である。政府と福島第一原発の事業者である東電が、1960年代後半に福島県内に原子力発電所を建設することを決定した際、彼らは自治体に多額の現金を振る舞い、「クリーンで安全な」原子力エネルギーで、その地域社会の明るい未来を約束したに違いない。福島第一原発が立地する双葉町では、1980年代後半、いくつかの大きな門が建てられ、道路を跨いだ門の上部には、「原子力:明るい未来のエネルギー!」というようなスローガンが、来訪者を歓迎し、また土地の住民には有望な将来を約束していた。だが双葉町はゴーストタウンになり、現在もそのままである。それらの門は、2015年12月までキープされ、住民たちは約束されたこととその結末とのギャップを十分思い知らされた(時事通信撮影、2015年2月17日)。
福島のメルトダウン以来、日本の他の原子炉の大部分は、点検やメンテナンスの為に停止状態だった。 しかし、安倍首相は、エネルギー不足という口実で、可能な限り多くの原子炉が再稼働されることを熱望しており、そのうちのいくつかは、日本の原子力規制委員会(NRC)のお墨付きをもらい、再稼働された。 再稼働された原子炉の一つは、2016年8月以来稼動中である四国の伊方原発の第3号機であり、四国電力が運営している。しかしこの原発は、40kmの長細い佐田岬半島の付け根辺りに位置している。
NRCは、その原子炉が世界で最も厳しいとされる安全基準を満たしている、と主張するが、事故の際の住民避難に関しては責任を負わない。事故が起きた場合、住民の避難は原発が立地する自治体が対処することになっている。しかし、伊方原発が、九州から四国を経て本州に至る日本最大の活断層である中央構造線上に位置することの危険性を認識する必要がある、と広瀬隆は警鐘を鳴らす(「日本列島の全原発が危ない」という題での講演、2017年4月30日)。この活断層上では、2016年以降、大規模な地震が九州を2回襲い、そのほか小さめの地震が無数報告されている。何時伊方原発近くで大きな地震が発生し、福島のような大災害をもたらすかは、誰にも分からない。
佐田岬半島の拡大地図を見れば、この辺りで大地震が発生した場合、半島の先端まで走る主要道路は破壊され、住民が孤立する可能性が大いに考えられる。 小さな脇道も通行不能になり、救助隊がまばらに点在する農村地域に到達出来なくなる可能性もある。その地域の大部分の住民は老人で、彼らが放射線で汚染された地域から逃げるための唯一の方法は、海岸に到達することであろう。 だが地震で道路や海岸線が破壊され、津波の危険がある場合は、それは現実的ではないかもしれない。また、瀬戸内海の放射能汚染は、その地域の漁業、観光、海運といった主要産業を破壊してしまうだろう。
政府が主張するエネルギー不足に関し、四電が2015年に公表したデータは、それを否定している。「原発をなくし、自然エネルギーを推進する高知県民連絡会」が四電の公表資料を基に作成したグラフによると、2006年から2015年の間, 電力会社は原発以外のエネルギー源から6百万KW以上の電力供給が可能だったし、需要はピーク時でも、原発以外の電力で十分足りていた。特に 2011年以降、需要が減少したことが顕著に表れている。おそらくこれは、消費者が福島の事故後、エネルギーを無駄にしないように心掛たり、又多くの省エネタイプの電化製品が開発されたからでもあろう。
四国の人口減少に伴い、今後、四電管轄地域の電力需要の増加はそれほど見込まれないだろう。 したがって、グラフが示す限り、四電がどうしても原発を再稼働しなければならなかった理由はなかったはずだ。四電は、これまで電気を供給してきた地域住民の健康や暮らしを破壊してしまうかもしれないリスクより、会社の利益を最優先に考慮したのだろうか?
現在稼働中の、又は間もなく再稼働されそうな原発の近くの住民は、様々な市民団体を立ち上げ、原発事業者に対し、彼らの健康と暮らしが危険にさらされるという理由の下、原発の差し止め訴訟を起こしている。 しかし国策が裁判で問われるとき、悲しいかな、日本の三権分立制度は殆ど機能していないと思われる。時には、下級裁判所の裁判官が勇気を持って原告に有利な判決を下すが、悲しいことに、上告後の判決は大体に於いて、政府に有利な判決になる。
広島の市民団体は、伊方原発再稼働に対する差し止め訴訟を、広島地方裁判所で起こした。住民達の主張は、巨大地震や津波が発生した場合、原発の安全対策は不十分かもしれないし、大災害が発生すれば、彼らの健康に深刻な影響を与える、とのこと。 一方四電は、最新の科学的知見に基づいたNRCの基準を履行することで、原子炉の安全は確保されているという立場を維持した。 3月30日、広島地裁は原告団の主張を棄却した。 しかしこれは、他の地裁で起こされている、伊方原発に対する現在進行形の訴訟のほん一つに過ぎない(日経、デジタル版、2017年3月30日)。 広島の原告団は、最近の判決を不服とし、上訴することを決定した。 したがって、彼らの戦いは続くのである。
日本政府は1960年代後半から、輸入に頼ってきた化石燃料に比べ、安価でクリーンなエネルギー源として原子力を推進してきた。 この方針のおかげで、2011年までに全国に54基の原子炉が建設され、再生可能エネルギーへの投資は比較的小さいままであった。 政府と原発事業者の主張に対し、常に懐疑的、批判的立場を取る者が存在したが、彼らは少数派だった。
しかしながら、2011年以降、日本国民は福島原発事故のコストが最終的にはいくらに上るのか、そしてそれを一体誰が支払うのかについて、懸念してきた。 政府は補償、除染作業、並びに廃炉作業を含む全体費用を試算した。当初の見積もりは約11兆円だったが、それは上昇を続け、2016年12月に発表された最後の見積もりによると、22兆円にも膨れ上がった。それにこの金額は、まだ上昇する可能性が大きい。原子力の推進担当省庁である経済産業省は、今後40年の間、全消費者の電気代に、事故処理コストの一部の費用を上乗せすることを提案している。
経産省が言及する「消費者」とは、現在非原子力エネルギーのみを販売する事業者から電気を購入する者も含まれるそうだ。老舗の電力会社は、2016年3月末までそれぞれの地域で、電気小売りで独占体制を享受していたが、その後市場の自由化により、小企業で原子力に全く頼らない事業者の参入が可能になった。 経産省の提案の根拠は、2011年までは誰もが原子力エネルギーの恩恵を受けてきた、ということで、福島事故のコストは皆で負担すべきという案を正当化しようとしている(朝日新聞、2016年12月09日)。だがこれは2011年以降生まれた人たちも、独立し電気代を支払い始めてから、長年他の消費者と同じように支払い義務を課せられるのだろうか?当然ながら、議論はまだ続く。
それ以上に、民間シンクタンクである日本経済研究センター(JCER)が最近発表した新しい見積もりが、大変気になる。 JCERによると、廃炉作業だけでも、コストは経産省の最新の推定8兆円ではなく、32兆円まで上昇する可能性があるとのこと。 除染作業については、経産省が推計した6兆円に対し、30兆円が必要だとしている。保障に関しての見積もりは、 両者とも8兆円とみなしている。 つまりJCERの見積もり総額は、70兆円に膨れ上がっている(東京新聞、Web版、2017年4月2日)。
福島事故の総額コストの見積もりに関し、どちらがより正確かは、現時点では知る由もない。しかし、原子力がもはや健康や環境に危険を及ぼすだけでなく、非常に高価であることは明白だ。それならば、政府は現在、どのような正当性を持って原子力推進を継続するのだろうか?もし福島の大災害をもたらしたような大地震が再び日本のどこかで発生したならば、政府当局や原発事業者は福島で行ったように、「そのような大地震は、最新の科学的知見に基づく限り、想定外だった」、と再び言い訳をし、責任逃れをしようとするのだろうか?