10月2日、私は福島県の富岡町と楢葉町を訪れた。富岡町は、6基の内4基の原子炉が2011年3月11日の大地震と津波の後に爆発した福島第一原発から南に10km以内に位置する。現在はまだ放射線量が高く、避難区域に指定されている為、さながらゴーストタウンだ。バスに乗ってその町を見学したが、道路沿いの沢山の民家は、まるで震災直前に建てられたかのように、まだ新しく見えた。又、外から見る限り、それらの家々は、被災したようには見えなかった。だがそれらの所有者たちは、二度とそこに戻ることはないかもしれない。
富岡第2中学校の前に着くと、ガイドはバスから一旦降り、大急ぎでその学校の体育館をガラス戸越しに覗くことを提案した。その辺りは津波の影響を受けておらず、その体育館で卒業式が執り行われていた最中、避難命令が出されたようだ。近くの原発で最初の原子炉が爆発したとのニュースが流れた時、その会場にいた人々がどれほどパニック状態に陥ったかを、想像してみた。体育館の床には乱雑に倒れた椅子や紙類がそのままになっている。カオスの中で、参列者が突然逃げ出さなければならなかったが、その会場では少なくとも目出度い行事が執り行われていたことは想像しうる。紅白の幕が体育館の内側に張り巡らされ、今も当時のままである。
その後私は体育館の後ろにある運動場を見渡した。事故以来5年半が過ぎ去り、今では運動場全体が背丈の高い雑草で覆われていた。 雑草を見ると、かつてここで子供たちが走ったり、野球をしたりしたとは、とても思えない。サッカーゲームで使う鉄製のゴールも、勢い良く伸びる雑草に覆われて殆ど隠れてしまっている。その運動場に立ち、私はそこでかつて遊んだ子供たちやその家族はどこに避難したのだろうか、と思いを馳せた。

富岡第2中学の運動場
一方、原発から15kmほど南に位置する楢葉町の状況は、少々異なっている。除染作業が終わった後、町は2015年9月5日に避難解除がされた。しかし町内にある600年の歴史を誇る宝鏡寺の住職である早川篤雄氏によれば、避難解除後、戻ってきた住民はほんの一握りだそうだ。例えば、避難命令解除時点で、町役場に登録していた住民は7,363人だったが、その内440人(約6%)しか戻って来なかったそうだ。又、50歳未満の年齢層では、僅か49人(0.7%)しか帰郷しなかったそうだ。
その住職よると、通常の除染作業では、屋根瓦を洗い、家から20メートル四方の枯葉を取り除き、地面の土を削り取り、除染直後は家の周りの線量を日常生活に安全だとするレベルまで下げるとのこと。しかし、除染はまだ線量が高い野原や森林地域では行われない。この緑豊かな農村地帯に位置する楢葉町にとって、多くの民家は森や林に近い場所に建っている為、家の周囲の放射能レベルは依然として気象条件に影響して変化する。この様な状況の下、子供を持つ多くの家族は、故郷がまだ子供たちにとって普通に安全に生活できる場所ではないと判断し、そのまま避難者として現在の地に居残る選択をしたようだ。
多くの原発被災者は、彼らに対する国の政策に懐疑的だ。そのような政策の一つが、「年間被ばく量が20ミリシーベルト以下なら安全、健康に何ら問題はない」という日本政府の現在のスタンスだ。福島の原発事故以前は、日本もICRP(国際放射線防護委員会)の勧告通りに年間被ばく許容量を1ミリシーベルトとして受け入れていた。ところが原発事故以降、一気に20倍の数値に引き上げたのである。福島県庁は、県民の健康を守るために中央政府のその基準引き上げを疑問視するどころか、むしろ中央政府と同じスタンスを取っている。これでは被災した町村の多くの住民が、避難先にそのまま留まる決心をするのも十分理解できる。
しかし、日本政府は今、自主避難者に対し、故郷に戻るようにと圧力をかけている。除染作業後、避難命令が解除された地域出身の避難者も、現在は自主避難者と考慮される。政府は自主避難者に対し、2017年3月以降は住宅支援を打ち切ると発表した。この圧力に抵抗する避難者は、政府と事故を起こした東京電力に対し、それならば故郷の自然を以前の状態に戻せ、と当然ながら要求する。福島からの避難者を支援するNPO「脱被ばく実現ネット」によると、福島県内での避難者は(2016年6月20日現在)49,333人に上り、県外へも41,532人(2016年5月16日現在))が避難しているそうだ。そのうち何人が自主避難者かは、正確な数字が無いようだ。
政府が取るスタンスの内、私がもう一点非人道的で容認できないと思うのは、被災者の、特に子供たちの健康と原発事故の関連性に付いてである。2011年以降、福島県は災害時に18歳未満だった子供の健康診断を2度に渡って行った。一巡目は2011年から2013年にかけて、300,476人の子供を診察し、2巡目は 2014年から2015年にかけ、199,772人が診察を受けた。その内の172人が小児甲状腺癌と診断され、131人は既に手術を受け、41人が手術を待っているとのこと。通常、小児甲状腺癌は百万人に1人か2人の割合で発症すると言われていることを考慮すれば(2016年6月28日付の、NPO「脱被ばく実現ネット」のリーフレットからの情報)、172という数字がどれほど高いのか、明白である。それにもかかわらず、県主催の健康診断を担当した「医療専門家たち」は、見つかった甲状腺癌が原発事故によるものだという説得力ある因果関係は無い、と主張する。彼らの説明によると、それは「スクリーニング効果」だそうだ。つまり、高度な機器を使って検査をすれば、現在無視してもよい様な初期の小さな癌まで発見してしまうとのこと。でもそれは、実際多くの子供たちが手術を受ける羽目になったことに対し、納得いく説明になっていない。
国や県庁によって黙認された「専門家たち」の言葉は、被災後恐怖と向き合って暮らしてきた子供たちやその親にとって、何の慰めにもならない。政府当局が被災者に対し、甲状腺癌や他の疾患と放射線被曝との因果関係を証明せよと要求するのは、とても酷で非人道的だ。むしろ、私は住民が政府当局に対し、原発事故と2011年以降報告された小児甲状腺癌とは本当に何の関係もないことを証明するよう、要求すべきだと思う。それほど難しいことでない。福島県の子供を対象にしたような健康診断を、他のいくつかの県でも比較の為に実施すればよい。「専門家」が主張するように、小児甲状腺癌の症例が真にスクリーニング効果であったならば、他の県でも同様の結果が得られるはずである。