沖縄の戦い

去年の11月、2泊3日の沖縄学習ツアーに参加した。翁長雄志氏が2014年12月の知事選に勝利して以来、彼は沖縄・辺野古での新米軍基地建設反対という民意に沿い、安倍政権の圧力にも屈せず、戦ってきた。原発再稼働や安保法で、民意を無視し続ける安倍首相に比べ、翁長氏は民主主義国家の理想的リーダーと言えよう。日本中に彼の応援者が増えている。そんな中、もっと沖縄を知りたく、この旅に参加した。

出発前と旅行中、我々は沖縄について6時間の講義を三人の大学教授から受けた。とても有意義だった。沖縄は琉球王国として、小さいながらも独自の言語、文化を持った独立国だったが、1609年、薩摩藩の侵攻により藩の従属国となり、1868年の明治維新の後、1872年に日本に併合された。1945年、第二次大戦末期の3-6月、沖縄県民は地上戦に巻き込まれ、実に県民の25%が命を落としたと言われ、又大半の住居が焼かれるという悲惨な目にあっている。

日本本土は1945年の敗戦後、米国軍政の下に統治されたが、サンフランシスコ講和条約の後1952年に独立を回復している。しかし沖縄は日本から切り離され、1972年の日本復帰まで米軍統治下に置かれた。しかもこの間、沖縄県民の人権は米国にも保障されていなかったのだ。ある意味では、現在日本の一部である沖縄でも日本本土でも、この状況は余り変わっていない。日米地位協定により、米軍関係者が犯した犯罪に関して、日本の警察・司法制度は日本の法律を適用出来ないのだ。

敗戦直後、米軍政下に置かれた日本では、あちこちに米軍基地があったようだが、1952年に独立を回復すると、それらの基地の可なりの部分の機能がまだ米軍統治下にあった沖縄に移されたため、県民はそれまで以上の基地負担を強いられ、騒音や基地関連の問題に悩まされた。沖縄の人々が日本復帰に向けて戦ってきた大きな理由は、日本に復帰すれば日本人としての人権が確保され、基地もかなり縮小され、平和な日々を取り戻せると確信したからだ。

ところが、本土復帰後も基地負担の軽減はなかった。日米両政府によって、それまでの状況が維持され、今後も維持されようとしている。沖縄の面積は日本全土の0.6%に過ぎないが、日本にある米軍基地の実に74%が沖縄に密集している。それどころか、日米政府は、人口密集地にある、世界で最も危険と言われる普天間米軍飛行場を閉鎖する代わりに、辺野古に新しい基地を建設する計画を進めてきた。これまで基地負担を一方的に負わされてきた沖縄県民の大半の反対運動を無視した形で新基地建設を推し進めている。

日本全国の新米軍基地建設賛成派は反対派に対し、脅し文句として、「沖縄の米軍基地がなくなれば、沖縄は経済的にやっていけない」と言う。しかしデータによると、昭和47年の県民総所得に占める基地関連収入の割合は15.5%だったが、平成23年には4.9%に減っている。又観光収入は、昭和47年の324億円から平成25年には3905億円と十数倍増えている(http://www.pref.okinawa.jp)。アジアの発展を背景に、基地がなくなれば、観光業には更に追い風になるはず。いずれにせよ、沖縄県民が今主張しているのは、危険な普天間基地の閉鎖、高江のヘリパッドと辺野古の新基地建設に反対していることで、嘉手納やその他の米軍基地を閉鎖せよ、と要求しているのではない。

我々一行は、那覇からまず宜野湾市の佐喜眞美術館へ行き、丸木位理・丸木俊両画家の「沖縄戦の図」というとてつもなく大きく、迫力ある絵画を鑑賞した。戦時中の県民の苦しみがひしひしと伝わってくる。その屋上から普天間基地の一部が見える。その後沖縄に移住して10年という、関西出身のミュージシャンで、ソウル・フラワー・ユニオンのメンバーである伊丹英子さんのお話を聞いた。彼女は基地反対派だが、容認派を巻き込んで宜野湾市で音楽イベントを2007年から開催しているそうだ。両派がイベントで協力し合い、いい雰囲気作りに貢献しているようだ。彼女の明るさ、積極性が功を奏しているのだろう。

2日目は新基地建設反対運動の現場、そしてキャンプシュワブ海兵隊基地ゲート前テントを訪れ、抗議行動の中心人物にこれまでの活動、現状についてお話を聞いた。ゲート前のデモにも加わった。東京から機動隊が送り込まれる前で、平和的に行われた。ゲート前には何のお店も食堂もない。そのような状況の下、3人の70代女性が用意して下さったお弁当を頂いた。基地反対のスローガンが前後に印刷された、ピンクのお揃いのT-シャツを着た、通称「座間キャンディーズ」のチャーミングな女性たち。彼女たちは神奈川県から毎月沖縄に通い、ボランティアとしてゲート前の応援者に実費でお弁当を用意しているとのこと。何も買えない場所で、彼女たちの心が籠ったお弁当は有り難かった。

新基地容認派には、「反対者は、2万円もの日当をもらっている」と主張する者がいる。何を根拠に言うのか。私たちが出会った人々にそれらしき人はいなかった。私たち一行もそうだ。それぞれ自腹で出費を抑えながら活動に参加している。なるべく安い宿泊施設を利用して。私たちが沖縄を去ってすぐ、東京から機動隊が辺野古に送り込まれたが、隊員たちは一泊2万円と言う豪華ホテルに宿泊していると報道されていた(週刊金曜日ニュース、11月20日号)。 私たちは、五つ星ホテルに泊まる機動隊員とは違うのだ。

この旅では沢山学んだ。朝早くから頭上を飛びかうジェットファイターの轟音には閉口した。私にとって一番印象深かったのは、読谷村で芸術家・金城実氏にお会いしたこと。戦争の悲惨さや平和への思いを力強く彫刻に託し、活動されている。庭やアトリエに所狭しと並べてある彼の作品は、沖縄の戦前、戦中、戦後の悲しみ、怒り、そして優しさが凝縮されていて、私の心を捉え放さなかった。安倍首相をはじめ、政府のお偉いさんたちが沖縄を訪れるとき、沖縄を心から理解するために是非金城氏のアトリエにも足を運んでもらいたいものだ。

カテゴリー: 日本, 民主主義, 沖縄 タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , パーマリンク

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