最近見た日本のテレビ局制作のドキュメンタリー番組が、これまで主に狩猟採集を中心に暮らしてきた「バカ」と呼ばれる民族について言及していた。最初その部族の名前を聞いた時、私が聞き間違えたのかと思った。その名前が日本語の「馬鹿」と同音語だったからだ。早速インターネットで検索し、確かにピグミー族に属するそのような名前の部族が、アフリカのカメルーン、ガボン、コンゴ辺りの熱帯雨林に存在することを知った。
今日の世界では、何十万もの異なる言語がそれと同じほどの数の民族、部族によって話されている。ある言語は地理的に近い場所で使用され進化してきた為、単語や文法が似通っている。一方、多くの言語は離れた大陸に住み、全く接点の無かった民族によって話されてきたので完全に異なっている。だが、歴史的に何の接点も無かったような違った言語の中にも、私達は意味が全く違っている同音語に出会うことがある。ちょうどバカ族のその固有名詞と同音語の日本語の単語のように。
東京に住む私のある友人は、以前海外研修生の日本工場見学などを斡旋する外郭団体に勤務していた。研修生は日本のいろいろな産業プラント見学を通して、例えば生産性向上のため、それらの職場での安全衛生がどう対処されているかを学ぶことだった。彼女は彼らの工場訪問のプログラムを組むだけでなく、時にはプラントまで同行していた。彼女が言うには、外国人研修生の中には時には吹き出したくなるような面白い名前があるが、何とかその衝動を抑えていたのだそうだ。また時には、とても大声では口に出せないような恥ずかしい言葉に似た名前にも出くわすとのことだった。
数年前、私がまだジュネーブに本部を置く国際機関に勤務していた頃、我が機関の高官の一人が、就任後間もなく日本へ出張し、労働省、経営者側および労働者側団体の代表者達を表敬訪問した。我が機関の東京事務所に勤務する同僚が彼に同行したそうだ。彼女から後で聞いたところによると、それぞれの訪問先にその新任高官を案内し、名前をはっきり発音しながら彼を紹介すると、数人の人たちがしきりに笑いたい衝動を抑えていたそうだ。その高官の名前が日本語では、「褌一枚もまとわない、完全に露出した男」というように聞こえたからだ。
この様な言葉の偶然は、その逆の状況でもある。つまり日本人の名前や単語にも外国人にしてみれば、とても面白おかしく聴こえたり、恥ずかしくて口にできない場合もある。以前同僚だったタンザニア人の彼女が、本国から送られてきた新聞の切り抜きを持ってある日私のオフィスに来、日本には「クマモト」というような恥ずかしい名前があるのか、と聞いた。そのような名前があるのが信じられないといったような表情で、彼女はその名前を発音するのに顔を赤らめていた。それは日本ではごくありふれた名前だったので、私にとってなぜ彼女がそれを発音するのにも躊躇したのか理解しがたかった。実際その名前の県もあり、その県庁所在地の市も同じ名前なのだ。
その記事によると、日本政府が新しい駐タンザニア大使として「クマモト氏」を指名し、ホスト側のタンザニア政府の承諾を待っていたのだが、タンザニア側が申し訳なさそうに彼を文化的理由で断ったとのこと。それまで両国間は良好な外交関係を享受していた為、タンザニア政府が日本政府に正式に彼を却下する旨の返答をしたためる時、相手国政府の感情を損ねないよう、言葉使いも慎重にならざるを得なかったことだろう。
日本人としてその記事を読んだだけでは、「クマモト」という名前がタンザニア人にとってどれほどひどいものかは理解できなかった。それで彼女に本国ではどういう意味があるのかを聞いてみた。彼女は非常に躊躇しながら説明したのだが、私が理解する限り、おおよそ「性的に興奮した女性性器」というようなことだった。彼女がその名前を口にすることが余りにも恥ずかしいので、何度も彼女に繰り返えさせないでほしいと、私に懇願したほどだ。彼女の説明を聞いて、私はタンザニア政府が新任大使の候補者を拒否しなければならなかった理由を十分理解できた。もし彼が大使として赴任したなら、仕事上いろいろな高官と会わなければならないが、会うたびに多くの人々に恥ずかしい思いをさせねばならなかっただろう。このケースに関しては、実に日本の駐タンザニア大使館の大きなミスだったと言わざるを得ない。このように新しい大使を指名する場合、候補者の名前が正式にホスト側政府に提出される前に、現地のスタッフがいろいろな角度から考慮して東京の本省に適切なアドバイスをすべきだったのだ。
私はこれまで全く異なる言語環境で発展してきた言語にも、意味が違った同音語がどの様に生まれて来たかについてあれこれ思いめぐらした。そのような謎を追求するのは、単に好奇心を満たすという観点からも、非常に面白いことだろう。