エッセイ:女性の価値と男女数の不均衡

最近見たテレビ放送によると、中国での男女数の不均衡が更に悪化しているとのこと。国の一人っ子政策と中国社会が伝統的に女の子より男の子を望んできた結果だと報告していた。現在のこの傾向が続いた場合、2020年までには(www.aljazeera.com/programmes/101east/2012/01/201215752…)男性が女性を3000万人以上上回ると推測され、それが将来深刻な社会問題を引き起こすだろうと予測していた。だが私にとって、そのドキュメンタリーの内容は別に驚くようなものではなかった。かつて世界のあちこちで、女子の胎児を選択的に中絶するという行為が頻繁に行われ、それが現在もなお世界の多くの国々で行われているという記事を以前読んだことがあったからだ。

選択的堕胎が頻繁に行われている社会では、女子より男子を大切にする理由がいくつかあるようだ。男性優位の社会では、息子は家族の名前や家系を絶やさず維持することができるし、両親の老後には経済的保障やケアを施すことができると予想される。一方女子は、最終的には結婚して家を出ると考えられ、その時必要な結婚支度金や持参金はその家族にとっては重い負担としてのしかかる、と思われている。

選択的中絶/女性胎児堕胎を根絶しようという国際キャンペーンは、よく運動の矛先を中国とインドに向ける(例えばwww.gendercide.org参照)。これらは世界で最も人口の多い国であるため、選択的中絶の症例数がかなり高いと考えられているからだ。これらの国々は、今最も著しい経済発展を遂げているにもかかわらず、女性に対する偏見は根強く残っているし、社会がそのような伝統にしがみ付いている間は、男女数の不均衡の傾向は続くだろう。

戦後日本が急速な経済成長を遂げている間も、少年少女は戦前と同じように別々な社会的期待に応えなければならなかった。ある意味で、女性はまだ二級市民のように扱われていた。私はつつましい家庭の6人姉妹の5番目として生まれ育ったのだが、周りの大人たちから、娘たちを嫁に出す時、親がどれだけ経済的負担を強いられるかということをよく聞かされたものだ。彼らが言うには、3人の娘がいる家族は確実に破産するとのことだった。我が家は3人どころか6人もの娘を抱えていたのだ!

以前日本でも家族にとって息子を持つことが極めて重要であった為、私の両親はしきりに男の子の誕生を望んだに違いないが、その願いは叶わなかった。時々私が考えるのだが、もし私の誕生前に、胎児の性別をはっきり見分ける方法があったなら、私や妹は堕胎される運命だったのだろうかと。母はもう30年前に亡くなっているので、その答えは分からないが、胎児の性別が見分けられない時代に私達が生まれたことは、ラッキーだったと言うしかない。だが母によると、私がこの世に生れて来た時、又女の子だと知って大層がっかりした親戚がいたそうだ。彼らは母に同情の言葉を浴びせ、まだ子供がいなくて欲しがっている遠い親戚に私を養女として出すようにとも強く勧めたそうだ。母はそのような圧力に屈せず、彼らに対し、「女子も男子も同じように大事だ!私の娘は自分で立派に育て上げる!」と言い放ったそうだ。母からこのことを聞いた時、私は彼女の元で育てられたことに関し、心の底から彼女に感謝の念を抱いたことを覚えている。

教育、訓練、雇用の面で男性が女性よりより多くの機会が与えられている男性優位の社会では、両親の老後の面倒をみるというような経済力は、当然彼らの方が女性よりはるかに上回っている。女性胎児の堕胎が頻繁に行われている社会では、女性がまだ単に経済的負担として見なされていることの反映だろう。しかし義務教育の導入とともに、経済発展は、民主主義、男女平等、個人の権利の尊重等といった現代思想を、常に社会の隅々に徐々に浸透させる触媒としての役割を担ってきた。女子も男子同様の機会を与えられ、なおかつ人生の夢や志を追求するよう励まされれば、彼女らも経済的に独立し、家族を支えられるような能力を備えている。自尊心を持ち、同時に周りの人々に対する尊敬の念を抱く独立した人は、結婚する時厄介な持参金の事など心配する必要がない。結婚とは愛し合う自由な二人がいっしょになることだからだ。

今日、日本女性は数十年前に比べ、はるかに社会進出し経済的に活躍している。まだ西洋諸国の女性達が勝ち得たような男女平等の実態に比べると後れをとっているが、より高い地位の専門職や管理職に就いている女性の数は確かに増えている。それは彼女らの社会的地位の向上に貢献してきた。私が子供だった頃、多くの人々が公に女の子より男の子を望んだが、状況は変わった。今日、息子より娘の方を大事に思っている人が多くいる。息子や嫁とより、結婚しても密接な関係を維持できる娘との絆を大切に思うようになったからだ。

女性胎児の堕胎が依然として蔓延している国々で、将来の母親達が、「女の子も男の子と同じくらい大事なのだ!」と主張出来る日は何時になるのだろうか。

カテゴリー: 異文化, 哲学, 女性と開発 タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , パーマリンク

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