エッセイ: 東京の無人野菜売り屋台

今年の3月半ばから、一カ月間日本旅行を計画していたのだが、大震災、大津波、及び福島第一原発での爆発事故を機に帰国を延期した。大きな余震が続いていたし、原発事故後の放射能汚染の拡大が心配だったのと、果たして其の事故がどう終結するかが分からなかったからだ。その後予想された電力不足も心配だった。その為、冷房も暖房も要らない10月を待って帰国した。

帰国前、ジュネーブにある日本食料品店の棚は日本からの輸入品が枯渇寸前だった。その店主によると、ヨーロッパ各国政府は日本からの輸入品に放射能汚染品が混ざっているのではとの警戒心から、原発事故以来、輸入を一切許可していないとのこと。でも彼は、もうしばらく待てば、日本からの食料品の安全性が証明され、輸入が許可されるでしょう、と楽観的だった。そのような状況の元で帰国し、東京の我がアパート近くにある大きなスーパーマーケットが以前と変わらず、品揃いも豊富であったのを確認し、ほっとした。

その他に帰国して嬉しく思ったのは、東京でもまだ無人の野菜売り屋台が健在だという事。私のアパートは新宿から電車で25分ぐらいの所にある。40年前、姉一家が近くに一軒家を買いその土地に引っ越してきた頃は畑があちこちにあった。その後は新しい住宅、集合住宅がどんどん建設され、農地が徐々に消えていった。それでも今その辺を散歩すると、まだ少々畑があり、農家の方々が季節に応じた野菜を丹精込めて栽培している。

無人の野菜売り屋台は道路に面した場所に設けられ、朝収穫されたばかりの新鮮な野菜が並べられ、それぞれの値段が表示されている。通りがかりのお客さんが支払いやすいよう、そしてお釣りが要らないよう、大体は100円均一の量が袋に入れてあり、並べられてある。例えばスーパーマーケットでは一個196円ほどのキャベツがそこでは100円で売られていた。代金はそこに置かれてある貯金箱みたいな箱に入れるという仕組みだ。この様な野菜売り屋台が我がアパート近くに2か所ある。

外国に長年住んでいる私にとって、無人の野菜売り屋台を見て心配になる。丹精込めて作った野菜が心ない人に盗まれないのだろうか、また代金が入った箱が誰かに持ち逃げされないのだろうかと。盗もうと思えば簡単に盗めるからだ。一度その屋台の持ち主に聞いてみたいと思うが、誰もそこにいないので、聞きようがない。もしそのような苦い経験が以前あったとしても、彼らは野菜作りに生きがいを感じ、リスクを抱えながらも無人の野菜売り屋台を継続するだけの利益が得られるから続けているのだろう。

今年3月の大災害直後、東北地方では50万人近い人々が避難生活を余儀なくされた。その頃テレビのニュースでは、避難所で寒さと飢えに苦しむ人々が、配給される水、食物、衣類、毛布等を奪い合うこともなく、自分の順番が来るまで列を乱さず我慢強く待ち、ようやく受け取った時は配給者に対してお礼の会釈までして行く心の余裕を持った人々が映し出されていた。外国メデイアが日本人の礼儀正しさ、マナーの良さを報じる毎に、日本人として嬉しく、誇らしく思った。

今回、無人の野菜売り屋台が相変わらず健在だと知り、嬉しく思い、日本人として再度誇らしく感じた。もちろん日本も他国同様犯罪は発生するし、近年では増加の傾向にあると報告されている。しかし今でも我が国は、OECD諸国内で最も低い犯罪率をキープしている(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2788d.html)。今日世界の大都市で、無人野菜売り屋台で商品を並べ、代金箱を台の上に置いただけのような店が、東京以外のどこにあるだろうか?そう簡単には見つからないのではないだろうか。東京が、そして日本全体が何時までもそうあってほしいと願わずにはいられない。

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