エッセイ: 偽医者とにわか医者

世界の多くの国で、最も尊敬される職業の一つに医師が上位にあげられている(e.g.http://www.ehow.com/list_5925228_top-ten-respected-jobs.html)。やはりそれは彼らが人々にとって一番大事な生命に係わる仕事をしているからだろう。また医師の平均所得は他の職業に比べても上位にランクされていて(e.g. “The Ups and Downs of Respected Careers” at http://careerbuilder.com)、若者達のあこがれの職業だ。しかし誰もが医師になれるような能力を持ち備えているわけではないし、一人前の医師になるまでには大変なお金と時間をかけて勉強と訓練に励まなければならないので、最終的に高所得を得るのも当然といえば当然のような気がする。だが尊敬されるとか収入が多いという面に魅かれ、医者になりすますとんでもない人も時には現れるようだ。

日本の新聞によると、3月11日の大震災後に被災地に入り、医師を装い傷の手当てや投薬をしていた無資格の男が、違法医療活動をしたとして最近逮捕されたそうだ(http://www.asahi.com/national/update/0819/TKY201108190242.html)。彼は小道具を使って医師を装っていたらしいが、すぐそれが見破られなかったのは一体どういうことだったのか?確かに最近は病気、怪我、薬品に関するいろいろな情報が簡単に手に入るので、少々勉強するだけで医師免許がなくても容易に医師を装うことが出来るということだろうか?

この記事を読んで、私がタンザニアで25年前に経験したことを思い出した。ザンビア国境に近い、医者もいない農村地域でのことだった。私はそこで医師を装ったのではなく、村人が勝手に私を医師だと思い込み、私を困らせたのだ。

そこでは農村地域での女性の労働参加に関しての調査活動を行った。ある村の古い教会の牧師館の一部を借り、そこを調査活動の拠点とし、私達一行はその拠点から毎日違った村に出かけて仕事をしていた。 そして、その村の女性数人を一行12人の食事の賄い婦として雇った。その教会や牧師館はタンザニアがまだドイツ領であった随分昔に建てられたもので、屋根は崩れ落ちそうだったし、水も何もなかった。そのため賄い婦たちは食事の準備をするのに川に水汲みに行き、近くの山に薪を取りに行かなければならなかった。

ある夕方、私達はお腹を空かせてその拠点に戻ってきた。その時にはもう夕食が出来ているはずだったが、台所には誰もいなかった。食事の準備はおろか、火の気も感じられなくシーンとしていた。これは一体どういうことなのか、と心配になった。その辺の農村は実に貧しく、村人には大変申し訳ないが、一瞬彼女達を疑ってしまった。もしかして、私達が首都からジープで運んで来た食糧を、私達がいない間に彼女達は持ち逃げしたのだろうかと。でも米やトウモロコシの粉は台所に残されていた。では彼女達は食事の準備もしないで一体どこに消えてしまったのだろうか?

辺りは真っ暗で、電気もない村に彼女達を探しに行くのも困難だった。そうこうしているうちに、彼女達は薪を背負って戻ってきた。一人は片足を捻挫したのか痛そうに引きずっていた。話を聞くと、その辺の住民が燃料としている薪を求めて近くの山々の木々をどんどん伐採してしまった為、毎日より遠くまで歩いて行って薪を集めなければならないとのこと。その上、その日は仲間の一人が野山を歩いているうちに片足を挫いてしまったとのこと。普通に歩けなくなった彼女を支えながらゆっくり帰って来たため遅くなってしまったそうだ。

彼女達は直ぐ食事の支度にとりかかった。しかし私は足を痛そうに引きずっている彼女をそのままほっておけず、医薬品が入った袋をスーツケースから取り出した。その頃ILOから発展途上国に出張する時、特に首都圏から離れた医者もいないような地域に行く場合、注射器3本とその他諸々の医薬品、包帯等が入ったキットを渡されるのが常だった。具合が悪くなってもすぐ医者にかかれない場合、最低限自分で自分の身を守るためのキットであった。もちろん中にはどの様な症状の時にどの薬をどれくらい飲む等の説明書もあった。その時私は、それ以外に、私が幼い頃から慣れ親しんだ日本の医薬品もキットに入れていた。

捻挫した彼女の足を見ると、甲が少々腫れていた。でもそれほどひどい捻挫とは思えなかった。いずれにせよ、まずは彼女にその足を綺麗に洗うよう指示した。乾かしたその足の甲に、私は日本から持ってきたサロンパスを何枚か丁寧に張った。痛み止め用のアスピリンも与え、その晩はなるべくその足に負担をかけないようにとアドヴァイスした。私達も皆お腹を空かせていたので全員が協力し、食事はあっという間に出来上がった。

翌朝、捻挫した彼女が私の所にやって来て、足の痛みがすっかりなくなったことを笑顔で報告した。腫れも引いていた。しかし驚いたことに、彼女は具合の悪そうな村人を4-5人連れて来ていた。彼女は私の医薬品キットを見て、私を医者だと思い込んだらしい。勘違いされては困るので、私は医者ではないと何度も繰り返した。しかし彼らは現在どういう風に具合が悪いかを私に何度も説明するのであった。

そこはマラリアが蔓延している地域だった。私がマラリア予防用に飲んでいるのも、マラリアにかかってしまった人が高熱や震えなどの症状を抑えるのに飲むのも同じ薬だった。そのような状況の元、私が所持している薬で彼らを助けられるなら、彼らに与えてもいいかなと思った。ただ数人に薬を与えるとその話を他の村人が聞きだし、その後大勢が押し寄せることにもなりかねない、と心配した。私もまだしばらくその地に留まるので、予防用の薬を全部与えてしまうわけにはいかなかった。結局その場に連れてこられた村人には薬を分け与えたが、それ以上の薬は分け与えられないことを理解してもらうしかなかった。

私は自分の能力をわきまえていたのか、これまで医者に成ろうとは思ったことがない。しかし25年前のタンザニアの村人達に医者と勘違いされた時、それほど悪い気分はしなかった。日本で最近逮捕された偽医者は、もしかしてどこかで私のような体験をしたのだろうか?その時の気分の良さが忘れられず、つい違法医療行為をするようになってしまったのだろうか?彼が長い間偽医者とは見破られなかったのは、可なりの知識と能力の持ち主だったのかもしれない。それならばどうしてもう少し努力し、医師免許を獲得しなかったのだろうか?

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