3月11日の東日本大地震直後、大津波によって壊滅状態に陥った東北海岸線地域の光景を初めてフランスの自宅のテレビニュースで見た時、何だかSF映画でもみているような気がした。日本近海に於ける大きな地殻変動により大地震や大津波が引き起こされ、日本列島が沈没の危機にさらされる、という本が以前ベストセラーになり、映画化もされていたからだ。だがいくつもの放送局が同じような、又はそれ以上に恐怖を覚えるような映像を繰り返し流すのを見て、それがSFではなく、現実に母国で起きていることだと自覚すると、ショックを受けた。その後強い余震が東北地方で繰り返されたり、震源地から遠く離れた地域でもかなり強い地震が何度も起こったりした。更にいくつもの休火山の火山活動が活発になってきたとの報道もあり、いよいよあのSFが現実味を帯びて来たように思われた。外国に住んでいようと、日本人として毎日恐怖を感じ、ショックから鬱状態に陥った。更に福島第一原発での度重なる爆発事故、それに伴い周辺住民の放射能被害、毎日明らかにされる新たな問題に関係者が綱渡りの状態でかろうじて対処している様子等をニュース番組で追うごとに、心配の余り胃潰瘍にもなってしまった。でも時間がたつにつれ、胃潰瘍も癒え、鬱状態からも徐々に脱出できた。
と思っていた矢先、私は新たな悲しみに直面した。1か月ほど前、これまで九年間我が家の大事な一員だったマリースという猫を、急きょ安楽死させねばならなかったからだ。腎臓機能が停止したのだ。地震、大津波、原発事故の被害に遭い、愛する家族や一生かかって築いた大事なものを一瞬の内に失くしてしまった人々の喪失感を思うと、愛猫一匹を失くしただけでそんなに悲しんでいるのは申し訳ない気もする。でも私にとって、彼を安楽死させねばならなかったのは辛くて大きな悲しみだった。
マリースは、以前飼っていたタローという雄猫が死んだ後、トミというもう一匹の雌猫が相棒をなくして寂しくしていたので、そのコンパニオンとしてジュネーブの動物愛護協会から引き取った尻尾のない「マンクス」という種の雄猫だった。
タローは大型の「ノルウェーの森の猫」という種で、毛のふさふさした立派な体格の持ち主だった。そのような猫が保護されているなら、我が家に引き取ろうと思い動物愛護協会を訪れた。いくつかの部屋に分かれて保護されている猫たちをガラス戸越しにざっと見回したが、あいにくタローのような猫はいなかった。
係員が最初の部屋の戸を開け、私と一緒に入った。猫に触れさせて、私が気にいる一匹をみつけさせて、なんとか引き取ってもらおうとしていた。その部屋には数匹の猫がいたが、入って直ぐ、尻尾もない痩せこけた貧弱な身体つきのグレーの虎猫と目が会ってしまった。それがマリースとの劇的な出会いだった。彼はお世辞にも可愛いとは言えなかった。お互いの目が会ってしまった時、私はとっさに彼から目をそむけた。彼には興味がわかなかったからだ。でも彼は私に一目ぼれしてしまったようだ。彼は私の注意を引こうと、直ぐ行動に出た。私が他の猫をなでようとした時、彼が急に私の肩にポーンと飛び乗り、甘え始めたのだ。困ったなと思ったが、もう遅かった。係員はその猫がマリースという名で、「彼はマダムを気に入ってしまったようですよ」、と言った。そう言われると彼を拒否するのも可哀そうに思い、結局不本意ながらも我が家に引き取ることにした。その係員によると、彼はジュネーブ大学構内辺りで捨てられた後、その動物愛護協会で保護されたそうだ。既に三歳ぐらいになっているとのこと。
マリースが私に初めて出会った時から私のことを信頼できる人間と判断したかどうかは分からないが、愛護協会から我が家に向かう車中、駕籠の中で鳴く事もなく、じっとしていた。その後何度も獣医さんやペットホテルに連れて行ったが、駕籠の中では何時もじっと大人しくしていた。それに比べてトミは、駕籠の中で暴れ、まるで虐待されているかのようなうめき声を出しては私を困らせた。
我が家にやって来たマリースは、兎に角活動的で好奇心旺盛だった。タローやトミも登ったことのない本棚や洋服ダンスの上にまで軽々登ったりジャンプしたりで、彼を見ていて飽きることはなかった。食欲も旺盛で、貧弱な身体だったのがどんどん太った。三角形のような顔だったのが徐々に丸い可愛い顔の猫になった。初めは醜いと思った猫の変わり様に、私も彼を本当に愛おしく思うようになった。彼は実に社交的で、どんな訪問客にも親しく接した。
彼が我が家に来て8年余りは病気一つしない健康体で幸せな毎日だった、と確信している。でも徐々に食欲がなくなり、体重が減り始めた。何らかの癌にでもかかっているのか心配になり、血液検査に連れて行くと、腎臓機能の低下と診断された。薬を処方されたが、なかなか素直に飲んでくれなかった。去年の9月上旬には、腎不全で命を落とすところだった。私は彼に出来ることは全部したつもりだったので、彼が薬を頑なに拒むことで早死にするなら仕方がないとも思った。でも彼をもう一度獣医さんに連れて行くと、その獣医さんは3日間だけ治療をさせてほしいというので同意した。数日後、余り期待しないでその動物病院へ様子を見に行くと、驚くことに彼がより元気になっていて、食欲も取り戻していた。彼はこの世にもうしばらく縁があったのだろう。不思議なことに、それまで頑なに拒んだ薬も素直に飲むようになった。これは私にとって大きな喜びだった。その結果、体重も又少し増え、この調子だと、もう数年は長生きしてくれるだろうと確信した。
ところが今年に入り、彼の体重がまた少し減った。でもそれまで通りの好奇心旺盛で活動的な性格は変わらなかったし、人懐っこい側面も同じだった。薬も素直に毎日飲み続けてくれたので、それほど心配はしてなかった。しかし4月下旬、血液検査に連れて行くと、結果は最悪だった。もう彼の腎臓は殆ど機能してないとのこと。もはや治療の施しようがなく、すでに彼が苦しみ始めているはずだから、一日も早い安楽死を勧める、と言われた。その日の内にも勧めます、とまで言われてしまった。
確かに彼は食欲が低下していたが、前日には大好きなマグロの刺身を少々食べた。少なくとも今すぐ安楽死させねばならないほど苦しんでいるようには見えなかった。また安楽死させる前に、私もそれなりに精神的な準備が必要だと思い、数日考えさせてほしいと獣医さんに告げ、彼を一旦連れて帰った。帰宅後、彼を不憫に思い、久しぶりに大泣きした。そんな私を見て、トミは驚いていたが、マリースは何かを悟ったように、静かにしていた。その後彼の名前を呼んだりして彼の反応を観察した。名前を呼ばれると私の方を振り向いたが、以前のように私の方に近づくことはなかった。それでも苦しんでいるようではなかったので、このままもう数日彼と一緒にいられるだろうと思った。
だがあくる朝、獣医学を勉強したジャカルタに住む旧友に電話し、彼女の意見を求めた。彼女はマリースが腎臓病を患っていることを知っていた。彼の現状を詳しく説明すると、彼は既に苦しんでいるようだと言った。「大きな心を持ち、彼を一刻も早く旅立たせてあげなさい」、という助言だった。ここまで言われると、もう自分の心の準備など考慮している時間などないと判断した。直ぐ獣医さんに連絡し、マリースの安楽死に同意することを告げた。医者にはそれは彼にとって正しい決断だと、そして午後5時半に彼を連れて来るように言われた。
その最後の瞬間まで6時間余りあった。悔いが残らないよう、私なりにその時間を彼と大切に過ごしたかった。彼が私のベッドの上でじっとしている時、時々彼に話しかけながらそばにいた。ソファーに腰掛け、彼を抱っこしながらそれまでの思い出話もたっぷりした。その日はもう何も食べなかったが、私がバスルームで声を殺して泣いていると、彼がやってきた。シャワー直後、蛇口から落ちる水滴を舐めるのが大好きだった彼の為、シャワーの蛇口を一瞬ひねり、直ぐ閉めた。水が滴り落ちるのを見て、彼はバスタブの中に入り、滴を飲んだ。バスタブの中にジャンプするほどの体力はまだ残っていた。5時半が刻々と迫っていた。間もなく彼の命を断つのだと思うと、いてもたってもいられなく、彼の居ない所で時々泣いた。5時ごろ、彼との最後の記念写真を数枚撮った。後でその写真を見ると、やはり彼は既に苦しんでいるような顔つきだった。動物病院に行く時間がとうとうやってきた。私にとって、とても長くて短い6時間だった。マリースとトミを数分一緒に過ごさせた後、彼を駕籠に入れ、アパートを後にした。
私はマリースを抱き、動物病院の一室でその瞬間が来るのを待った。彼も私の腕の中で静かにしていた。安楽死の手順は既に電話で説明を聞いていた。まずは注射で彼を深い眠りにつけ、その後別の注射で心臓と肺を停止するとのことだった。とうとう最初の注射の時間が来た。以前、予防注射や血液検査を受ける時、彼は注射器を持つ獣医さんを威嚇したが、今回は私に抱かれたまま、静かに注射を受け入れた。彼が最後の瞬間に抵抗したらどうしようと心配していた私は、彼のその態度に救われた。数分後、彼は深い眠りについた。その後獣医さんは彼を別の部屋に連れて行き、最後の手順をふんだのだ。数分後、「彼はたった今旅立ちましたよ」、と言って息絶えたマリースを私の腕の中に戻してくれた。しばらく彼の亡骸を抱きかかえ、悲しみに浸っていた。でも安らかな彼の顔を見ると、その時点で安楽死させたのは正解だったと確信した。彼を失くした寂しさや悲しみは直ぐには癒えないが、彼と過ごした9年間はとても楽しかった。初対面で彼から目をそむけた私に一目ぼれしてくれ、ずっとこれまで私を信頼してくれた彼に、今は本当に感謝している。
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