寒い季節には、我々は普通足や足首辺りを保温するため靴下を履く。寒くなくとも、多くの人々が靴下を履く。靴ずれを防ぎ、足の臭いが靴に付着するのを防ぐためでもある。足の臭いが付着した靴はそう簡単には洗えないが、靴下だったら何度でも洗い清潔にして使えるからだ。
大体において、靴下の使い方は世界中共通しているが、少々違った使い方もある。例えば日本で時々見かけるのは、靴下に覆われたゴルフクラブである。大都市に住むゴルフ愛好家がゴルフクラブを入れたバッグを肩に担ぎ、地下鉄や電車、バスを乗り継ぎ目的地のゴルフコースに向かう時、クラブが何かにぶつかり傷がつかぬよう、厚めの靴下でクラブの先端を保護しているのを何度も見かけたことがある。
ジュネーブの国際機関で働いている時、イタリアの南部で開催された学会に出席したベルギー人同僚が、驚きとともに私に話して聞かせてくれたのは、学会開催地で見た話。年配の男性が銀行に入って来てまず靴を脱いだそうだ。次に靴下を脱ぎ、靴下の中に隠してあった現金を取りだした。そしてそれから預金窓口に向かったとのこと。
もう25年以上も前のことだが、多分その街では年配の人々が度々ひったくりやスリに遭っていたのかもしれない。でも皆が預金するために靴下に現金を隠して銀行にやって来たのではないだろう。そんなことが必要だったなら、銀行としてそのようなお札を受け取る前に、文字通りマネーロンダリングをしてもらわなければ臭くてかなわなかったはずだ。同僚が見かけた男性は大変用心深い人だったのだろう。靴下が現金を安心して持ち運びする手段にもなるのだ。多額の現金の場合、その方法は使えないが。
その他にもあっと驚く靴下の使い方があることを私は知った。やはり25年ほど前、タンザニアの農村地帯に出張していた時だった。その頃のタンザニアは政府が掲げてきた社会主義政策が行き詰まり、経済がかなり低迷していた。目ぼしい産業もなく、農業生産性も落ち込み、政府保有の外貨も底をついていた頃だったので、外国から輸入された生活用品は余り見かけなかった。だからと言って国内で生産されたものも市場にはあまり出回っておらず、外国から十分な現金を持って行っても買える物が余りなかった。
私は農村地帯で、スワヒリ語に訳されたアンケート用紙を基に調査活動をしたが、実際のインタビューには調査の対象となる農村地帯近辺の町に勤務する女性の地方公務員を8人雇った。インタビューが始まる前、私はいろいろな準備で大忙しだったし、インタビューが行われている間は、もっぱらその調査活動の為に雇った人々の食事の確保に奔走しなければならなかった。ダーレスサラームからジープで二日がかりでたどり着いた農村地帯では、どのような食糧が手に入るのかも分からなかったので、日持ちがする米とトウモロコシの粉(これは現地の人々がウガリという団子みたいなものにして食べる大事な主食の一つ)を首都で沢山買い込み、ジープに積んで運んだ。副食用の野菜や魚、肉類は現地で必要に応じて調達するしかなかったが、それがなかなか手に入らなかったのだ。
首都で十分な額を両替し、ポシェット一杯の現地の現金を持っており、そしてあちこちの村をジープで回ったのだが、買える食材というのがなかなかなかった。苦労してやっと買った真っ赤なトマトは、私がそれまでに食べたどのトマトより美味しかった記憶がある。それだけ新鮮な野菜に飢えたのかもしれない。
そんなある日、何か蛋白源になるものがないかと農村を回っていると、ある農家の庭を数羽の鶏が走り回っていた。現地にもう数年も滞在していたバングラデッシ人の土木工学専門家が、我々の調査活動に協力してくれていた。彼はスワヒリ語に堪能だったので、その農家の主人に鶏を売ってくれるよう、交渉を頼んだ。
私は、お金は十分払うからと粘ったが、その主人は鶏は絶対売れないと言う。しかしその代りに卵を売ってあげようとのことだった。彼が売れる卵は12個あった。それは大変有り難いことだった。私達は雇った現地の地方公務員も含めて総勢12人だったからだ。喧嘩しなくても、一人一個ずつ食べられることになる。
暫く待っていると、その主人は駕籠に入った卵を持って来た。私が駕籠ごと受け取ろうとすると、駕籠は渡せないと言う。私は困ってしまった。袋らしき物は何も持っていなかったからだ。フレアースカートでも穿いていたなら、なんとかスカートの端に卵を包むように持ち帰れたのだが。手のひらに持っても、安全に持ち帰れるのはせいぜい6個ぐらいが限度だろう。ズボンのポケットに入れて潰してしまったら、せっかく12個手に入れた苦労が台無しになる。さあ、どうやってそれらの卵を割らずに運ぼうか、と途方にくれていた時だった。
バングラデッシ人の彼が自分の靴を脱ぎ始めた。一体何をするのだろうと見ていると、靴下も脱ぎ、その中に卵をそーっと一個ずつ入れていった。それを見た私は唖然としたが、彼の知恵に脱帽だった。彼にもう片方の靴下を脱いでもらい、今度は私がその中に残りの卵を一個ずつ入れた。彼には大変恐縮だが、私は6個ずつの卵が入った悪臭を放つ靴下を我慢しながら両手に大事に持ち、彼の運転するジープで、一個も割らずに無事食事の賄い人に届けることが出来た。その後、皆がオムレツにされた卵を食べたのだが、味は普通だった。
この件で、私は靴下が小さなショッピングバッグにもなりうることを学んだ。世界のあちこちを旅すると、思いがけない所で思いがけないことを学ぶことがある。そしてその都度少しずつ賢くなっていく。