私が初めてスイスにやって来てからもう29年になる。ジュネーブに本部がある国連のある専門機関に採用されたからだ。その当時の賃貸アパートの空き状況も現在と同様に厳しい状態で、手ごろなアパートを見つけるまで可なりの時間と労力がかかった。その為、暫くの間はコルナバン駅近くのホテル住まいを余儀なくされた。
最初に滞在したホテルのすぐ近くに郵便局があった。驚いたことに、そこは朝7時から開いていて、出勤前の人々が郵便局での用事を済ませていた。ジュネーブに来る前、私は東京という世界でも屈指の大都市で働き、暮らしていたが、朝7時に開く郵便局など見たことがなかった。大体は9時スタートだった。スイス人がいかに早起きかを知ったのはこの時からである。
ジュネーブ到着後、すぐアパートが見つかるだろうと軽い気持ちでいたのだったが、2週間たってもみつからず、おまけに最初のホテルでの滞在延長が出来なくなった。先の予約がいっぱいだったからだ。あわてて他のホテルに部屋を確保し、移った。同じくコルナバン駅の近くだったが、今度は湖側だった。車があった方がアパート探しに便利だと思い、その時急いで中古車も買ってしまった。幸いホテルの近くに公共の駐車場があった。駐車は、平日は夕方から朝まで(日中はオフイスの駐車場に止めてあったので)、そして週末も問題なく駐車できるだろう、と思っていた。
車を買って初めての土曜日、車をその駐車場に置いたまま外出した。そして日曜日にアパート探しの一環で、少々遠くに出かけないといけないので駐車場に行くと、フロントガラスのワイパーに何かが挟んであった。誰かが広告でも挟んだのかと思って手に取ってみると、それは駐車違反の罰金の通知だった。驚いてその通知書を読むと、その駐車場は土曜日の駐車が禁止なのに、私の車が駐車されたままだったということで、私の記憶が正しければ60フランの罰金だった。
なぜその公共の駐車場に土曜日には駐車が出来ないのだろうと不思議に思ったが、謎は直ぐ解けた。スイスに来て間もなかった私は、その駐車場の規則が書かれた看板を見逃していたのだ。その時点でようやくそれが目に入り、じっくり読んでみると、土曜日にはその駐車場に朝から市が立つので、市が閉鎖されるまで駐車は禁止と書かれていた。ということは、前日は私の車がそこに置かれたまま市が開かれたということだ。少なくともレッカー車でどこかに持って行かれなかっただけでも感謝ものだった。
その通知書によると、罰金の支払いはホテル近くの警察所ではなく、ちょっと離れたパキ地区にある駐車違反等を扱う事務所で受け付けるとのこと。もう一つ驚いたことには、その事務所は早朝6時から開いているということだ。これも出勤前の人々にとって罰金が払いやすいように早朝から開けているのだろうか?罰金のことが気になったのか、月曜日は早く目が覚めてしまった。本当にその事務所が6時にあいているのかも少々興味があったので、そこに出かけてみることにした。
これまで東洋人女性が早朝にそこに現れたことがなかったのか、私に対応してくれた係官は少々驚いた様子で、でも親しそうな顔で接してくれた。罰金の通知書を見せながら、たどたどしいフランス語で、土曜日にあの駐車場での駐車が禁止だとは知らなかったと言うと、いつジュネーブにやって来たのかと聞かれた。2週間前だと答えると彼は、では今回の罰金は免除しようと言う。無論今後は気をつけるように、と一言付け加えたが。彼の寛大さに感謝し、嬉しさの余り私は早朝にもかかわらず笑顔をふりまいてしまった。そしてこの件により、ますますスイス人の早起きの印象を強くした。
ところが数年後、その印象が更に強いものになるような経験をした。アパートも見つかりジュネーブ郊外のべルソワという町に住んでいる頃だった。それが実に恥ずかしい経験だったので、一生忘れることはないだろう。
それは、私がタンザニアの農村地帯に出張し、女性の労働参加に関する調査を終えてジュネーブに戻って来た時だった。上司に提出するための出張レポートを書き始めた時、そのレポートに記入しなければならない情報の記録をうっかりして紙くずと一緒に捨ててしまったことに気付いた。出張レポートは、普通その目的、行き先、やり遂げた仕事の内容、将来フォローアップすべき点、出張先で面会した人物のリスト等を、簡潔明瞭に数ページにまとめたものだ。私の悪い癖は、面会した人物の名前や肩書を手持ちのもの何にでも、例えばパンフレットや何かの広告等に、走り書きすることだった。そのためタンザニアから戻った時、大事な情報を書きとめた物を、不注意で紙くずと一緒に捨ててしまったのだ。
その当時、私の契約はまだ安定したものではなかった。私の将来はその出張レポートと調査報告書の出来栄えで決まるといっても過言ではなかった。これは一大事。確か面会した人々のリストはタンザニアの農村地帯で調査活動している時泊ったホテルのパンフレットに走り書きされていたはず。何とか私が捨てたごみ袋を回収し、その中からそのパンフレットを見つけなければならない。
その日の夕方、自宅に戻ると早速アパート住民用のゴミ捨て場に行った。そこには大きなゴミ箱用コンテナーが二つあった。奥行きもあり深さが結構あるので、各家庭から出される可なりの数のゴミ袋を収容することができる。私が前の晩ゴミ袋を捨てた時、それらのゴミ箱は大部分が空だった。しかしその夕方は、両方とも可なり一杯になっていた。さあ大変だ。翌朝、市のゴミ収集車が6時ごろにやって来るのだが、それまでにアパートの管理人がその大きなゴミ箱をアパートの前に出して置くのだ。つまりその晩のうちに、又はどんなに遅くともあす朝5時半ぐらいまでには自分が捨てたごみ袋をその中から探しあてなければならなかった。
二つの内のどちらのゴミ箱に捨てたかは覚えていた。殆どのゴミ袋は黒っぽいビニィール製で、スイスの二大スーパーのどちらかの名前が印刷されている。私が使っているごみ袋がどちらのマークかはわかっているので、それを基準に仕分けが出来た。またひもの結び方で、自分のではないと確信できるものをどんどん排除できた。でも私が捨てた時はゴミ箱が殆ど空だったが、その時点では一杯だったので、仕分けはそう簡単ではなかった。私が捨てたゴミ袋は大分下の方にあるはずだ。
深さのあるゴミ箱でのゴミ袋探しは容易ではなかった。ゴミ箱の底の方に簡単には手が届かなかったからだ。必死で探していると、時々住民が家庭のゴミを捨てにやってきた。翌日がゴミ収集日だと知っているからだ。ゴミあさりをしていると思われるのが恥ずかしいと思った私は、人が来るたびに私もたった今捨てに来たような仕草をした。しかしこれでは仕事がはかどらなかった。では誰にも邪魔されないように、翌朝、4時半にゴミ置き場に降りて来ようと思い、一旦自分のアパートに引き揚げた。
いくらなんでもそんな時間にゴミ捨て場に人は来ないだろうと確信していた。早朝そこに降りていくと、ゴミ箱には昨晩よりもっと沢山のゴミ袋が捨てられていた。ゴミ箱の外に立って仕分けするのは時間がかかりすぎると思い、ゴミ箱によじ登り、その中に入って仕分けを始めた。チェック済みのゴミ袋はどんどんゴミ箱の外に出した。もちろん目的達成後は再びゴミ箱の中に収めるつもりだったが。仕分けが急ピッチで進み、とうとう自分の捨てたごみ袋を探し当てた。ひもをほどき、中のゴミが自分のものだと確信した。一生懸命探した甲斐があった、と本当に嬉しく思い、またほっとした。
その時だった。ガタッと音がし、ゴミ捨て場のドアが開き、中年の男性がゴミ袋を持ってやって来たのだ。辺り一面にゴミ袋が散乱しているだけでなく、東洋人女性がゴミ箱に入っているのを見た彼はびっくりし、何か恐ろしいものを見てしまったかのように、自分のゴミ袋を素早く捨てて、後ずさりして出て行った。私は彼にそこで何をしていたかを説明したかったのだが、一瞬の出来事で、その時間もなかった。早朝にもかかわらず彼がいきなり入って来たので、私だって腰が抜けるほど驚いた。それにゴミ箱の中にいる自分を誰かに見られてしまい、この上ない恥ずかしさを味わった。
それ以来、出張中の情報は大事にメモし、紙くずを捨てる時も二重にチェックするようになった。あのような恥ずかしい体験は二度とごめんだからだ。でもあの時の努力が奏してか、その後私の契約も安定したものになった。
それにしても、スイス人の早起きは本当に困ったものだ。