エッセイ: ジャカルタの彼は聖人か、それとも単なる馬鹿か?

長い年月を経て新しい世代へと受け継がれてきた世界の偉大な教えは、その間いろいろな社会的、歴史的、政治的背景のもとでさまざまな人間によって違った解釈をされたり、体系化されたりしながら今日に至っている。

しかしそれぞれの教えの本質は余り大きな違いがないような気がする。それは多分、どんな教えであろうと、所詮は人間社会で生まれ、伝承されてきたものだからだろう。人間の本質はどこに行こうと余り変わらないからだ。人種、民族、学歴、社会経済状況、文化、男女の違いにかかわらず、程度の差はあれ、大半の人々は物質欲、権力欲、名誉欲、嫉妬等、その他もろもろの煩悩を抱え、心身共に迷い苦しみながら人生を歩んで行く。この世を去る前に、何とかそれらの教えに少しでも近づき、心身共に解放された人間に到達できるよう、宗教や思想に傾斜する人々は少なくない。

以前、私も如何にそれらの煩悩を取り払えるか真剣に考えたり、精神的により自由で高度な人間を目指して、書物を読みあさったりもした。しかしどれだけ人間として向上したかはあやしいと思っている。だが一方では、世界の偉大な教えを説教したり伝道する聖職者が、実際は普通の人と同様にもろもろの煩悩を抱えているのを垣間見たりしているので、自分に余り悲観もしていない。

これまで、本当に煩悩を断ち切ることができたような人物にまだ一度も出会っていない、と断言できるかというと、もしかしたら金銭欲から解放された人物かも、と思わせるような人に一度だけ出会っている。それは私が国際公務員としてインドネシアのジャカルタに三年間勤務した時だ。もう20年前になる。

彼はアーメッドという、人の良さそうな二十歳ぐらいの若者だった。私がジャカルタに赴任して間もなく借家を見つけたのだが、彼はその建てられたばかりの、家具付きの大きな家の留守番人として、大家に雇われていた。彼は西ジャワ島からジャカルタに職を求めて出て来たばかりで、大家はテナントが引き続き彼を使用人として雇ってくれることを期待していたようだ。確かにその家は私が以前住んだどの家屋よりはるかに大きかったが、使用人用の部屋は一部屋しかなく、私はすでに知人を通して、東ジャワ島から親戚を頼ってジャカルタに仕事を求めて出てきたばかりの若い女性をお手伝いさんとして雇うことを決めていたので、彼を雇うことは出来ない旨を知らせた。つまり彼は私が入居する時点で、仕事も住む所も失うことになったのだ。

それは少々可愛そうだとのことで、大家は何とか私に彼を週に一日でも、例えば庭師として雇ってもらえないか聞いてきた。まあ、家の前庭は大して大きくなかったが、中庭もあり、広い居間の片隅にも小さな庭があったので彼を庭師として雇い、日曜日ごとに来てもらうことにした。

私の借家はまだ建設途中の高級住宅地区の一角にあり、高い塀に囲まれ、入口には24時間体制でガードマンが数人待機するようなところだった。地区内の3分の1はもう大きな家が完成していたが、他はまだ空地のままか、新しい家の建設中であった。地区内には建設現場で働く若者達の飯場が数か所あり、運よくアーメッドもそこで仕事と住む場所を見つけ、低賃金でありながらも何とかジャカルタに踏みとどまり食べていくことが出来るようになった。

彼は日曜ごとに我が家にやって来た。午前9時から12時まで仕事をし、昼食休憩後、午後再び数時間仕事をした。でもいくら南国の気候でも芝生はそんなにのびなかったので、庭仕事はすぐになくなった。結局大きな家の高い所の窓拭きや、しょっちゅう切れる電球の取り換えなど、梯子に登ってしなければならない仕事をいろいろやってもらうことになった。お手伝いさんが梯子に登るのを怖がったので、彼の存在は大いに役立った。もう何もすることがない場合、一日分の日当とともに、午後早めに彼を帰した。

昼休みには、彼はその高級住宅地域の門の外に行き、そこに出ている屋台でインドネシア風の焼きそばやラーメンを食べていたようだ。ところがある日曜日、昼休みになっても彼は私の家から離れず、ぴかぴかに磨かれた正面玄関のたたきで昼寝をするような感じで寝そべっていた。なぜ昼食を食べに行かないのか、と聞くと、恥ずかしそうな声で、実は所持金がお昼を買うのには十分でないと言う。では屋台での食事は一体いくらするのかと聞くと、例えば魚団子を入れてもらうかもらわないかで値段が変わるが、最低700ルピアはかかるという(その当時の為替相場は1米ドルが1600ルピアぐらいだった)。では所持金は一体どれだけあるのかと聞くと、これだけと言って100ルピア札を五枚ポケットから出して見せた。

昼食を食べずに午後の仕事はきついだろうと思い、彼に卵とたっぷり野菜を入れた日本風ラーメンを作って食べさせた。彼はそれを有り難く平らげ、暫くしてから午後の仕事に取りかかった。大した量の仕事でなかったので、終わってから、彼に額縁を売る店に案内してもらうことにした。

その数日前、私はバリ島へ出張したばかりで、その時大層気に入った絵に出合い、値段は少々高かったが買ってしまった。その絵を一日も早く額縁に入れ、居間に飾りたいと思ったが、どこに行けば額縁屋さんがあるのかも分からなかった。幸い彼によると近くの大きなマーケットの一角にそのような店があるという。彼を助手席に乗せ、彼の案内に従ってドライブし、その古い大きなマーケットに辿り着いた。中は天井が低く薄暗く、いろいろな物を売る小さな店が軒を連ねていた。一人で入って行くには少々勇気がいるような所だったので、彼が付いて来てくれたのは有り難かった。

額縁屋は彼の言う一角にあった。そこでバリ島で買ってきた絵を広げ、それに合う額縁を選んでいる時だった。店の入り口に赤ん坊を抱いた女性の乞食が現れ、彼女はしきりに店の中に向かってお金を少々恵んでほしいと言っている。そういえば、インドネシア人が言っていた。女性の乞食はよく親戚や近所の子どもを借りてきて、人々の同情心に訴え、お金を稼ごうとする、と。それに、私は店主とのやりとりで忙しかったので、その乞食を無視した。ところが驚いたことに、店の入り口に立っていたアーマッドは、ポケットから所持金を出し、そのうちの300ルピアを彼女に与え、200ルピアを又自分のポケットにしまい込んだのだ。それを見た私は、あいた口がふさがらなかった。彼の所持金はたったの500 ルピアで、お昼も買えない僅かの金額であったにもかかわらず、その大半をいとも簡単に、乞食に、もしかしてインチキ乞食に、与えてしまったのだ。それも惜しむような仕草は一切見せずに。

彼は一体何者なのだろう、その時不思議に思った。私だったら僅かばかりの所持金をそう簡単には手放さないだろうと確信をもって言える。もしかして、彼は、金銭欲のひとかけらもない、人間としては、私なんかに比べたらはるかに向上した存在なのだろうか?一瞬、彼が聖人に見え、後姿に後光が差しているようにも感じられた。でも改めて彼を見ると、自分のお金の管理もきちんとできない、単に金銭的にいい加減な馬鹿青年のようでもある。彼とはジャカルタ勤務が終わるまでの三年間接したが、この謎はとうとう解けなかった。

カテゴリー: ミステリー, ユーモア, 異文化, 哲学 タグ: , , , , , , , , パーマリンク

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