コロンボに赴任して丸一年。 スリランカの美しさや文化遺産を満喫している。内戦の影響も心配していた程ではない。ILO事務所は、手入れされた芝生や花壇、そして樹齢百年もあるような大木に囲まれた国連事務所構内の一角。来て間もないある晩、蛍が飛び交うのを何十年かぶりで見て嬉しくなった。ただ、構内辺りは警備が厳重。すぐ右隣に空軍司令部、左隣には陸軍参謀長の公邸、そして真後ろには国防総司令官の公邸があるからだ。
こちらに来たことを一瞬だけ後悔したことがある。それは独立50周年記念式典後間もない去年(注:1998年)の二月だ。古都キャンデイで予定されていた式典が、一月末タミールイーラム解放の虎(LTTE)による仏歯寺大爆破事件で急遽コロンボに移された。他にも爆破事件を警戒した政府が万全な態勢を取り無事終了した。
出張を控えた私は、その晩八時過ぎまで仕事をしていた。オフイスには経理担当の女性職員と運転手の男性職員が残っていた。ようやく仕事が終わり帰り支度をしていた時、突然国防総司令官公邸の方からドドーン、バンババーンという大爆音が鳴り響いた。式典後の警備態勢の緩みをLTTEが巧みに突き、公邸襲撃に成功、警備部隊と戦闘が始まったのだ、と思った。国連構内と公邸の境界線は三メートル程の高さのトタン塀と塀の上の有刺鉄線。我がILO事務所内でも、所長室がその塀に一番近い。もしかしてトタン塀を流れ弾が突き切ってくるのではと身の危険を感じ、コロンボにやって来たことを一瞬後悔した。
心配して廊下に飛び出すと、居残っていた職員がおろおろしていた。とりあえず戦闘が終わるまでオフイス内でじっと待つことにした。外では激しい戦闘が繰り広げられている様子。それにしても少々変だ。襲撃後の激しい戦闘がそんなに長く続くはずがない。運転手の彼が外に出て様子を見てくると言う。私と経理担当者はくれぐれも気をつけるよう頼んだ。彼も怖いらしく、恐る恐る出て行ったが、オフイスから数歩離れた所で私たちにも出ておいでと合図した。私たちは不安ながら外に出、彼の指差す方角を見上げた。後は私たちの大爆笑。国防総司令官公邸のすぐ裏の警察公園で、花火大会が繰り広げられていた(ILOジャーナル、1999年1-2月号より)。