ジャカルタに転勤して一年半になり、仕事も大分慣れたが、悩みの種はやはりメイドさんの扱い方。外国人が寄り集まると、話題に上るのが使用人のことで、沢山の人々が苦労している。メイドさんなど雇わずに済んだらと思うが、治安上留守番がどうしても必要だ。
多くのメイドさんは一人仕事を嫌い、話し相手としてもう一人雇ってくれと主人に嘆願する。それでいてメイドさん同士がけんかして問題を起こすこともよくあるので、仕事量が少ない我が家では一人しか雇わない、と面接の時にはっきり言う。
ここに十年も住んでいて、インドネシア人の性格、言葉を知り尽くしている人でも、信頼出来て、一人で仕事が出来て、長続きするメイドさんというのはなかなか見つけられない。ある知人は去年から一年の間に十五人程のメイドさんを雇うことになった。次から次へと辞めていったからだ。一日で辞めて出て行った者もいる。彼女は我が家のメイドさんが長続きすると羨ましがっていたが、私の今のでもう四人目である。
彼女はもう三カ月続いている。私もいろいろ気を使っている。帰りが遅くなる時は電話をかけてやり、毎日のように新聞や雑誌を買い与えているし、ラジオ、テレビ、カセットも使わせている。何だか新妻に気を使う新婚男性のような気分になる。彼女は小卒だがまだ十九歳なので、将来の為に何か習い物をと勧めたら、洋裁学校に行きたいというので同意した。授業は週二回、三時間ずつ。入学金と月謝は私が払う約束をした。ミシンも欲しいというので、私が買ってあげ、代金を給料から月々差し引くという約束もした。
ミシンは持ち運びが簡単な電動のポータブルを勧めたら、実家がある地方はまだ電気がないから足ふみの大きなのを買うのだと言っている。そのほうが彼女が我が家に定着する率が高くなるかな、と私なりに計算している。(ILOジャーナル、1990年1月号より)
ミシンはどこで買いましたか?
あと何円(何ルピア)でしたか??
(私はJJSに通っています
今家庭科でエプロンを作っているのですが
私は遅れてしまい家で創作を進める事にしましたが
生憎うちにはミシンがなく買う事にしました
ですがどこに売っているかわからないので・・・><)
長文失礼しました;
みくさん、このエッセイは私が20数年前、国連職員としてジャカルタに赴任した時の話ですので、当時のミシンの値段など余り参考にはならないと思いますが、一応お答えします。確か旧式の(電動ではなく脚ふみの)ミシンの値段は10万ルピアぐらいだったと記憶しています。当時、インドネシアの公務員の平均給与が10万ルピアぐらいだったし、赴任当時の為替相場は1USドルに対して1600ルピアでした。ミシンは私が当時住んでいた自宅辺りで営業活動をしていたミシン会社のセールスマンから購入しました。ST